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福田永将選手&堂上直倫選手引退特設ページ

10月3日にバンテリンドームナゴヤで行われたドラゴンズ対ジャイアンツの試合は今季最終戦、引退を発表した谷元圭介投手、大野奨太選手、福田永将選手、堂上直倫選手のラストゲームとなりました。

福田選手は5番ファースト、堂上選手は8番セカンドでそれぞれスタメン出場となりました。
2回裏無死一塁の場面で福田選手に打席が回ると、ジャイアンツ赤星投手と対戦、初球を打ち上げてしまい遊飛に、3回表に交代を告げられるとファンの声援に帽子を振って応え、ベンチ前で立浪監督と握手を交わしました。
堂上選手は3回裏無死、左翼線へ二塁打を放つと、その後も試合に出場し続け、8回裏無死一塁の場面でも左前打を放ちます。ここで代走を送られ交代、最後の試合をマルチ安打で締めました。

試合後のセレモニーではナインや家族、恩師などから花束が送られ、ファンを前に最後のあいさつ、同期入団の二人がそろってユニホームを脱ぎました。

CEREMONYセレモニー

福田永将選手あいさつ

まず初めに、このような舞台を用意していただきました中日ドラゴンズ球団関係者の皆さま、本当にありがとうございます。
今シーズンをもちまして、現役を引退します。大好きな野球を中日ドラゴンズで17年間やることができました。
監督、コーチ、スタッフ、チームメイト、応援してくれたたくさんの方々の支えのおかげで、ここまでやることができました。
本当にありがとうございました。

その中でも、一番近くで応援してくれた家族に、今日はこの場を借りてお礼を言わせていただきます。
まず両親、丈夫な身体に産んでいただき、好きになった野球を目一杯やらせてもらいました。
本当に感謝しています。

小学生の時、学校が始まる前、毎朝一緒に練習を手伝ってくれたこと、一生忘れません。ありがとうございました。

そして、妻、本当にいろいろ大変なことがありましたが、常に野球に集中できる環境を作ってくれて本当に感謝しています。
ありがとうございました。

そして子どもたち、君たちの存在が自分のための野球から人のための野球に変わりました。
毎朝、家を出るときにパパ頑張ってね、その言葉でどれだけ頑張れたか。今度はパパが応援する番です。
それぞれの目標に向かって、頑張ってください。ありがとう。

最後にファンの皆さま、どんな時も変わらぬご声援をいただき、試合に勝てないとき、打てないとき、打席に立つのが怖いときもありました。それでも、声援が背中を押してくれてここまでやることができました。本当にありがとうございました。

そしてまたドラゴンズには、これからのドラゴンズを背負って立つ若い選手がたくさんいます。
これまでと変わらずご声援よろしくお願いします。

応援してくれた方々の期待には応えられなかったかもしれませんが、自分なりに必死になって17年間やってきました。
悔いはありません。

これからドラゴンズは必ず強くなります。これからもご声援よろしくお願いします。
17年間、本当にありがとうございました。

堂上直倫選手あいさつ

まずこのような場をいただいた中日ドラゴンズ関係者の皆さん、ありがとうございます。
監督、コーチ、選手、チームスタッフの皆さんにも感謝申し上げます。

両親へ。丈夫な身体に産んでくれてありがとう。
父。小さい頃から電話で今日は素振りをしたかと、毎日電話がかかってきました。
そこで僕も休まずに毎日素振りをした記憶があります。
そのおかげでプロ野球選手になれたと思っています。ありがとう。

母へ。リトルの頃から朝早くてもたくさんお弁当作ってくれたり、ユニホームがドロドロになって、それが一番喜んでくれました。 自分は思い切って野球ができました。ありがとう。

兄貴。小さい頃から背中を見続けて、いつも自分の目標でありました。
最後まで気にかけてくれてありがとう。

妻へ。嬉しいときも悲しいときも、いつも一番近くで寄り添ってくれました。
野球を第一に優先してくれました。
子供が小さいときは本当に苦労をかけたと思います。本当に感謝しています。
あなたがいなかったらここまで頑張れなかったと思います。ありがとう。
2人の子供たち。次はあなたたちの番です。いろんなことに挑戦して、たくさん成長してください。

そして最後まで球場に残ってくださったドラゴンズファンの皆さん、17年間ありがとうございました。
17年という長いようであっという間の日々の中、満足いくことよりもつらい悔しい時期の方が多かったと思います。
しかし、皆さまの温かい声援がいつも背中を押してくれました。本当にありがとうございます。

最後に来年の中日ドラゴンズは必ず強くなります。
いま、若い選手がたくさん一軍の舞台でプレーして、毎日必死になって練習をして試合をしています。
来年はファンの皆さんが喜んでもらえる試合をたくさん作ってくれると思うので、今立っている選手たちに期待してください。

本日をもちまして、堂上直倫は現役を引退します。17年間ありがとうございました。

福田永将選手は2006年の高校生ドラフトで3巡目指名を受け、捕手としてドラゴンズへ入団、2年目の2008年から内野手へ転向、2009年7月7日のヤクルト戦(神宮)で9回表に代打でプロ初出場、押本投手から初本塁打を放ちプロ初打席でプロ初本塁打を放ちます。その後も右の代打としての起用が続きますが2015年からスタメンの出場機会も増え、自己最多の79試合に出場。2016年から4番、5番を任されることが多くなり89試合に出場し10本塁打を放ち初の二桁本塁打を記録。2017年にはキャリアハイの18本塁打、2018年は133試合に出場し13本塁打、初の規定打席にも到達しました。
2019年にも18本塁打を放ち4年連続で二桁本塁打を記録、打点も自己最多の66打点を挙げました。

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2009 中日 17 16 2 3 1 0 1 7 1 0 0 0 0 2 7 0 .188
2010 中日 15 12 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 1 6 0 .167
2011 中日 12 17 3 4 0 0 2 10 2 0 0 0 0 0 7 1 .235
2012 中日 49 51 2 9 1 0 1 13 2 0 1 0 0 2 20 0 .176
2013 中日 4 7 0 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 2 0 .286
2014 中日 10 12 1 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 0 4 1 .250
2015 中日 79 169 12 41 6 2 6 69 23 0 0 0 2 14 62 7 .243
2016 中日 89 270 28 72 8 0 10 110 37 0 1 0 2 34 42 9 .267
2017 中日 95 299 37 81 19 0 18 154 49 0 1 0 1 26 70 4 .271
2018 中日 133 440 50 115 22 1 13 178 63 0 0 0 5 42 119 13 .261
2019 中日 105 310 55 89 18 0 18 161 66 0 1 0 5 37 69 7 .287
2020 中日 64 195 18 48 11 1 5 76 24 0 0 0 1 20 43 7 .246
2021 中日 110 279 21 68 21 2 8 117 28 1 2 0 1 25 49 6 .244
2022 中日 25 28 1 6 1 0 1 10 2 0 0 0 0 1 7 0 .214
2023 中日 19 20 3 3 0 0 1 6 1 0 0 0 0 6 4 0 .150
通算 15年 826 2125 234 546 109 6 84 919 298 1 6 0 17 210 511 55 .257

堂上直倫選手は2006年の高校生ドラフトで1巡目指名を受け、巨人、阪神との3球団競合の末ドラゴンズへ入団。
入団2年目の2008年8月3日の巨人戦(ナゴヤドーム)に代打で登場、グライシンガー投手と対戦しプロ初打席は三振に。
2010年6月18日の巨人戦(東京ドーム)で、8回表に内海投手から中前打を放ちプロ初安打、同年6月27日の広島戦(ナゴヤドーム)ではプロ初本塁打、この年は82試合に出場し68安打、5本の本塁打を放ちます。
代打や、堅実な守備で試合終盤の守備固めでの起用が主となりますが、2016年には131試合に出場し初の規定打席に到達、2019年には12本塁打を放ち初の二桁本塁打を記録、2022年には1000試合出場を決めました。

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2008 中日 3 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000
2009 中日 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000
2010 中日 82 259 23 68 12 1 5 97 30 0 0 14 1 27 35 11 .263
2011 中日 62 115 6 24 4 0 2 34 10 0 0 3 0 5 18 5 .209
2012 中日 116 167 5 35 8 0 0 43 11 1 0 8 1 6 34 6 .210
2013 中日 74 152 5 26 2 1 1 33 12 1 0 8 3 7 15 3 .171
2014 中日 90 237 19 54 4 1 1 63 17 1 0 11 3 10 45 8 .228
2015 中日 43 38 3 6 0 0 1 9 1 0 0 1 0 4 8 0 .158
2016 中日 131 456 38 116 25 3 6 165 46 1 1 20 2 29 69 14 .254
2017 中日 91 151 11 31 7 0 1 41 8 0 1 7 0 9 39 4 .205
2018 中日 74 47 3 10 0 0 0 10 6 0 0 2 2 5 9 2 .213
2019 中日 98 193 25 41 9 0 12 86 39 1 0 11 0 13 56 4 .212
2020 中日 43 50 2 10 2 0 0 12 4 0 1 0 1 4 11 2 .200
2021 中日 75 219 15 48 10 0 5 73 25 1 0 4 2 9 42 12 .219
2022 中日 16 18 0 5 0 0 0 5 0 0 0 0 0 0 4 1 .278
2023 中日 12 9 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 1 1 .222
通算 16年 1012 2113 155 476 84 6 34 674 209 6 3 89 15 129 387 73 .225

INTERVIEW引退会見

堂上直倫選手、福田永将選手が今季限りで現役を引退することを発表、バンテリンドーム ナゴヤで会見が行われました。

福田永将選手

このシーズンをもちまして現役を引退させていただきます。17年間ありがとうございました。

現役生活が終わろうとしていますがどんな気持ちですか?
あともうちょっとシーズンはありますが少しスッキリしています。一番はやり切ったかなと。

引退を決めた経緯は?
戦力になれていないし、自分自身一軍も通用しなくなっているのかなという実感があった。
家族に相談したら、本当にそれでいいの、もうちょっとできるのではと言われましたが、そこは僕自身が一番わかるのでもう辞めるという話をしました。

17年間を振り返って
二軍生活が長いので、二軍でたくさん練習した記憶が一番残っています。

入団してから3年間、一軍出場なしでのスタートだったが
1年目プロ入りに正直無理じゃないかという感覚から始まり、とにかく必死に練習したが最初の1、2年はちょっとキツイなというのが正直なところでした。
そこから段々二軍で打てるようになり、試合でも守備も多少できるようになり、ちょっとずつ自信を持てたかなと。

キャッチャーで入ったが、守備については?
キャッチャーで入ったが、まず思ったのが無理だなと。
一年目の秋のキャンプでファーストやってみないかと言われ、最後まで下手くそでしたが、とにかく僕はバットで勝負しないといけないと思っていたので、試合に出られるならどこでも守るぞという気持ちでやっていました。谷繁さん、小田さんがいらしたので、すんなりコンバートは受け入れました。

打撃に関して
フリーバッティングだけは自信があった。他の選手よりは多少飛ばせるかなと。
プロ入り7年くらいは自分の感覚だけでやっていた。7年目の秋のキャンプから徹底的に右打ちを覚えさせてもらい、そこから今の打ち方の根っこの部分ができたのかなと。

指導者については?
色々な監督、コーチに教わりここまでやってきた。感謝しています。

2016年から4年連続2桁ホームランについては?
ここまでできると思っていなかったので出来過ぎです。
ホームランバッターへのこだわりはあります。

最後の数年について
怪我ばかり、怪我のくり返しで正直しんどかった。
年齢も上がって歳上になってきますので今年はしんどかった。
怪我している状態で引退を決めたので、打ちたいというよりは気持ち的に楽になりました。

ライバルへの思い
僕がファームにいる間に同級生が一軍で活躍していたので、僕もという気持ちがあった。

引退をした後は?
正直、想像ができないです。わからないです。
できたらずっと野球に関わっていきたい。

後輩にメッセージ
若い時が一番練習ができるので、後からやりたいと思ってもできないので、今たくさんやるのがいいと思う。

引退試合、最後ホームランを狙いますか?
狙えないです(笑)。普通に今できることをしっかりやれればなぁと思います。

ファンの皆さんにメッセージ
中途半端な成績というか、いまいちつかみきれなかった野球人生でしたが、とにかく最後まで応援をいただき感謝しています。

堂上直倫選手

本日はお忙しい中、朝早くからお越しいただきありがとうございます。
堂上直倫は今シーズンをもちまして引退することを決めました、よろしくお願いします。

17年間お疲れ様でした、今どんな気持ちでしょうか?
17年間、結果としてはすごい後悔はありますけど、今までの練習と試合前の準備は何一つ後悔していません

引退を決断された理由、経緯は?
今シーズン始まる前から今年結果を出さないと自分でも思っていた、最終的に決めたのは8月31日の抹消された時に決めました

その決断に時間はかからなかった?
自分の中ではやるだけのことはやったので、そこで結果も出せず一軍の戦力になれなかったのですぐ決断はできました

ご家族はどのような反応をされましたか?
自分が本当に選んだ道なので、いつも影ながら支えてくれて、引退すると言った時も、また次のステップでしっかり支えてくれるという言葉をもらったので、すごく感謝している

周りの選手、後輩たちからは?
ありがとうございましたと、ほとんどの選手があいさつに来てくれた、そういう面では自分は幸せだなと

立浪監督、首脳陣、その方たちへの報告、反応は?
よくやったという言葉をいただいて、逆にちょっとスッキリしました

17年間を振り返って、印象に残る試合は?
一番自分がまず思うのは2010年の日本シリーズ第5戦、絶対負けられない試合の中で自分が初回にエラーをして、そこから大量失点になり試合を落としてしまった。絶対ミスは許されない場面でしてしまった自分を今でも鮮明に覚えていますし、本当に迷惑をかけたのが一番あるのですが・・・、いいことで言うと、兄貴と一緒にお立ち台に立てたのが最高の思い出

活躍ではなく後悔が残るシーンがまず頭に浮かぶ?
そうです、あれが僕の人生の大きな一つのプレーでした。若い時から一つのミスで流れが大きく変わるし負けると教わってきて、本当にその通りで、でもその時、誰も自分のことを責めなかったのですがすごく申し訳なくて、すごく悔しい思いをした

17年間1000試合以上出てエラーが40しかない。これは勲章では?
当たり前のプレーもミスしています、しっかり準備した中でのミスだったので、まだまだ改善できた余地はあったかなと思います

お兄さんが一緒にいるチームでプレーできたことは?
すごく幸せでした、兄貴も自分のことを同じ選手同士でありながら気にかけてくれて、たくさん一緒に食事にも行きましたし、本当に支えてもらっていたなと思います

お兄さんがチームを離れた後、背番号を受け継いだ
1番が外れる時に63番が欲しいとずっと思っていた。兄貴は僕よりも何倍も練習しているし結果も出していた、僕がそれを受け継いでやりたいなって思いが一番ありました

その背番号で最後までプレーできたことについて
自分にとっては特別な背番号。最後までつけられたのは嬉しいです

冒頭で後悔があると話しました、後悔とは?
ただの結果だと思うのですが、ファンの皆さんもすごく期待してくれていた中で結果が出せなくて、そこだけ本当に申し訳ないと、自分の力がなかったというのが一番なのですが、そこの結果だけは自分では決められない、自分のやれる練習や、試合前の準備は自信を持って言えるぐらいしっかりやれたので、結果は本当に申し訳ない、悔しいですね

準備の部分は胸を張ってやれたと言える、自分の中で支えていたものは?
たくさんの指導者の方々や、恩師から自分の心を動かしてくれるような言葉をたくさんいただいて。佐伯さんであったり、波留さんであったり、奈良原さんであったり、本当に自分をここまで大きくしてくれたと思います

心を動かしてくれた言葉を教えていただけますか?
最初に言った「結果は後悔するけど」という言葉は佐伯さんから受け継いだ言葉で、佐伯さんがドラゴンズに来た時は大ベテランでしたがめちゃくちゃ練習していて、若手よりもはるかに練習していた。あれだけ大活躍した人がどういうことを考えているのか、というのを聞いた時にその言葉をいただいて、僕がそれを言えるぐらい、この場で自分が自信持って言えるようにやろうと思っていました

結果に後悔していると言えたというのは終止符を打つにはちょうど良かったということに?
結果が出なくて、それでもユニホームを長く着させてくれて、全力でずっと走ってきたな、という感じです

チームに残る後輩たちにメッセージを送るとしたら
若い子たちがたくさん試合に出て、ファームでもいきのいい選手がたくさんいる、チャンスだと思うので、本当に一握りのチャンスを掴んでほしいなと思います

来年以降は?
まだその先は考えてないが残り試合もある、今一軍にいるので一つでも勝って、勝ちに貢献できるように準備をして、シーズンが終わるまでは現役の気持ちと一緒で頑張りたいなと思います

お父さんも、お兄さんも袖を通したユニホームで17年間続けられたことについて
自分にとって特別な球団ですし、小さい頃からナゴヤドームもよく見に行きました。夢見てたユニホームだったので、そこで始まってそこで終われるというのは自分にとっては最高の野球人生だった

ファンの皆さんにメッセージ
17年間たくさんの声援をいただき、苦しい時がほとんどだったんですけれど、それでも鼓舞してくれる言葉をたくさんいただき、勇気づけられたところもあるので、最後の最後まで全力で僕も頑張るのでそこを見てもらえたらうれしいです。