福田選手、堂上選手、谷元投手、大野奨太選手の引退会見

2023/9/18

本日(9月18日)引退を発表していました福田永将選手、堂上直倫選手、谷元圭介投手、大野奨太選手の引退会見がバンテリンドーム ナゴヤで行われました。

福田永将選手

このシーズンをもちまして現役を引退させていただきます。17年間ありがとうございました。

現役生活が終わろうとしていますがどんな気持ちですか?
あともうちょっとシーズンはありますが少しスッキリしています。一番はやり切ったかなと。

引退を決めた経緯は?
戦力になれていないし、自分自身一軍も通用しなくなっているのかなという実感があった。
家族に相談したら、本当にそれでいいの、もうちょっとできるのではと言われましたが、そこは僕自身が一番わかるのでもう辞めるという話をしました。

17年間を振り返って
二軍生活が長いので、二軍でたくさん練習した記憶が一番残っています。

入団してから3年間、一軍出場なしでのスタートだったが
1年目プロ入りに正直無理じゃないかという感覚から始まり、とにかく必死に練習したが最初の1、2年はちょっとキツイなというのが正直なところでした。
そこから段々二軍で打てるようになり、試合でも守備も多少できるようになり、ちょっとずつ自信を持てたかなと。

キャッチャーで入ったが、守備については?
キャッチャーで入ったが、まず思ったのが無理だなと。
一年目の秋のキャンプでファーストやってみないかと言われ、最後まで下手くそでしたが、とにかく僕はバットで勝負しないといけないと思っていたので、試合に出られるならどこでも守るぞという気持ちでやっていました。谷繁さん、小田さんがいらしたので、すんなりコンバートは受け入れました。

打撃に関して
フリーバッティングだけは自信があった。他の選手よりは多少飛ばせるかなと。
プロ入り7年くらいは自分の感覚だけでやっていた。7年目の秋のキャンプから徹底的に右打ちを覚えさせてもらい、そこから今の打ち方の根っこの部分ができたのかなと。

指導者については?
色々な監督、コーチに教わりここまでやってきた。感謝しています。

2016年から4年連続2桁ホームランについては?
ここまでできると思っていなかったので出来過ぎです。
ホームランバッターへのこだわりはあります。

最後の数年について
怪我ばかり、怪我のくり返しで正直しんどかった。
年齢も上がって歳上になってきますので今年はしんどかった。
怪我している状態で引退を決めたので、打ちたいというよりは気持ち的に楽になりました。

ライバルへの思い
僕がファームにいる間に同級生が一軍で活躍していたので、僕もという気持ちがあった。

引退をした後は?
正直、想像ができないです。わからないです。
できたらずっと野球に関わっていきたい。

後輩にメッセージ
若い時が一番練習ができるので、後からやりたいと思ってもできないので、今たくさんやるのがいいと思う。

引退試合、最後ホームランを狙いますか?
狙えないです(笑)。普通に今できることをしっかりやれればなぁと思います。

ファンの皆さんにメッセージ
中途半端な成績というか、いまいちつかみきれなかった野球人生でしたが、とにかく最後まで応援をいただき感謝しています。

堂上直倫選手

本日はお忙しい中、朝早くからお越しいただきありがとうございます。
堂上直倫は今シーズンをもちまして引退することを決めました、よろしくお願いします。

17年間お疲れ様でした、今どんな気持ちでしょうか?
17年間、結果としてはすごい後悔はありますけど、今までの練習と試合前の準備は何一つ後悔していません

引退を決断された理由、経緯は?
今シーズン始まる前から今年結果を出さないと自分でも思っていた、最終的に決めたのは8月31日の抹消された時に決めました

その決断に時間はかからなかった?
自分の中ではやるだけのことはやったので、そこで結果も出せず一軍の戦力になれなかったのですぐ決断はできました

ご家族はどのような反応をされましたか?
自分が本当に選んだ道なので、いつも影ながら支えてくれて、引退すると言った時も、また次のステップでしっかり支えてくれるという言葉をもらったので、すごく感謝している

周りの選手、後輩たちからは?
ありがとうございましたと、ほとんどの選手があいさつに来てくれた、そういう面では自分は幸せだなと

立浪監督、首脳陣、その方たちへの報告、反応は?
よくやったという言葉をいただいて、逆にちょっとスッキリしました

17年間を振り返って、印象に残る試合は?
一番自分がまず思うのは2010年の日本シリーズ第5戦、絶対負けられない試合の中で自分が初回にエラーをして、そこから大量失点になり試合を落としてしまった。絶対ミスは許されない場面でしてしまった自分を今でも鮮明に覚えていますし、本当に迷惑をかけたのが一番あるのですが・・・、いいことで言うと、兄貴と一緒にお立ち台に立てたのが最高の思い出

活躍ではなく後悔が残るシーンがまず頭に浮かぶ?
そうです、あれが僕の人生の大きな一つのプレーでした。若い時から一つのミスで流れが大きく変わるし負けると教わってきて、本当にその通りで、でもその時、誰も自分のことを責めなかったのですがすごく申し訳なくて、すごく悔しい思いをした

17年間1000試合以上出てエラーが40しかない。これは勲章では?
当たり前のプレーもミスしています、しっかり準備した中でのミスだったので、まだまだ改善できた余地はあったかなと思います

お兄さんが一緒にいるチームでプレーできたことは?
すごく幸せでした、兄貴も自分のことを同じ選手同士でありながら気にかけてくれて、たくさん一緒に食事にも行きましたし、本当に支えてもらっていたなと思います

お兄さんがチームを離れた後、背番号を受け継いだ
1番が外れる時に63番が欲しいとずっと思っていた。兄貴は僕よりも何倍も練習しているし結果も出していた、僕がそれを受け継いでやりたいなって思いが一番ありました

その背番号で最後までプレーできたことについて
自分にとっては特別な背番号。最後までつけられたのは嬉しいです

冒頭で後悔があると話しました、後悔とは?
ただの結果だと思うのですが、ファンの皆さんもすごく期待してくれていた中で結果が出せなくて、そこだけ本当に申し訳ないと、自分の力がなかったというのが一番なのですが、そこの結果だけは自分では決められない、自分のやれる練習や、試合前の準備は自信を持って言えるぐらいしっかりやれたので、結果は本当に申し訳ない、悔しいですね

準備の部分は胸を張ってやれたと言える、自分の中で支えていたものは?
たくさんの指導者の方々や、恩師から自分の心を動かしてくれるような言葉をたくさんいただいて。佐伯さんであったり、波留さんであったり、奈良原さんであったり、本当に自分をここまで大きくしてくれたと思います

心を動かしてくれた言葉を教えていただけますか?
最初に言った「結果は後悔するけど」という言葉は佐伯さんから受け継いだ言葉で、佐伯さんがドラゴンズに来た時は大ベテランでしたがめちゃくちゃ練習していて、若手よりもはるかに練習していた。あれだけ大活躍した人がどういうことを考えているのか、というのを聞いた時にその言葉をいただいて、僕がそれを言えるぐらい、この場で自分が自信持って言えるようにやろうと思っていました

結果に後悔していると言えたというのは終止符を打つにはちょうど良かったということに?
結果が出なくて、それでもユニホームを長く着させてくれて、全力でずっと走ってきたな、という感じです

チームに残る後輩たちにメッセージを送るとしたら
若い子たちがたくさん試合に出て、ファームでもいきのいい選手がたくさんいる、チャンスだと思うので、本当に一握りのチャンスを掴んでほしいなと思います

来年以降は?
まだその先は考えてないが残り試合もある、今一軍にいるので一つでも勝って、勝ちに貢献できるように準備をして、シーズンが終わるまでは現役の気持ちと一緒で頑張りたいなと思います

お父さんも、お兄さんも袖を通したユニホームで17年間続けられたことについて
自分にとって特別な球団ですし、小さい頃からナゴヤドームもよく見に行きました。夢見てたユニホームだったので、そこで始まってそこで終われるというのは自分にとっては最高の野球人生だった

ファンの皆さんにメッセージ
17年間たくさんの声援をいただき、苦しい時がほとんどだったんですけれど、それでも鼓舞してくれる言葉をたくさんいただき、勇気づけられたところもあるので、最後の最後まで全力で僕も頑張るのでそこを見てもらえたらうれしいです。

谷元圭介投手

本日は朝早くからお集まりいただきありがとうございます。
私、谷元圭介は今シーズン限りで引退することを決意しましたので、皆さまに報告したいと思います。

15年間お疲れさまでした。現役生活が終わろうとしている今、どのような気持ちですか?
色々な方や家族に相談し進めていく中ですごく悩みましたが、今はすっきりしています。
現役を続けたいという気持ちはあったが、現状の自分の力を考えた時にちょっと厳しいと思いました。
皆さんからは、その体で15年間もプロ野球選手としてよく頑張ったねと言っていただきました。僕自身もよくやったなと思います。

15年間で523試合の登板を振り返って。
500試合というのは僕の中でのひとつの目標だったので、達成できてよかったと思いますが、もっともっと投げたかった。岩瀬さんが1002試合だったので1試合でも近づけられるように頑張りたいなと思っていましたが無理でした。

523登板、154ホールド、通算12位ですが?
1試合1試合、チームのために投げたその積み重ねがその数字になったと思うのでよくやったかなと思います。

入団テストを受けてドラフト7位からのスタートですが?
ドラフト7位で入り、テストで入り、入ればなんとかなると思っていたので、そこからは少ないチャンスでしたが、はい上がってやろうという気持ちをすごく持っていた。

1年目からいきなり24試合というスタートになりましたが?
社会人出身ということもあり、そんなに悠長に何年も待ってもらえないと思っていましたので、1年目から結果を出そうと思い、過ごしていた。

北海道日本ハムファイターズ時代に、先発も経験していたが?
2012、13年先発でやっていた時の経験がその後の中継の成績に大きく反映したので、先発やってよかった。
中継ぎでたくさん投げることへのステップになったと思う。
僕の性格的には中継ぎの方が向いているのかなと。

年間30試合以上の登板が15年間で10回、フル稼働の野球人生だったと思うのですが。
大きな怪我もなく、強い体に産んでくれた母親、強い精神面で鍛えてくれた父親に感謝したい。
小さい体については、僕自身はこの身長でしか生きてきてないので、体が大きい選手の方が有利かもしれないが、ただ中途半端に大きくなく小さいので、小さい体も武器になったのかなと。

後輩に伝えたことは?
今までの経験は山本拓実投手に伝えました。

背中を見て後輩たちにはどんなことを感じて欲しいか。
北海道日本ハムファイターズ時代、優勝も日本一も経験させてもらって充実していました。
今のドラゴンズの選手たちには勝って、ビールかけ、優勝旅行を経験してほしい。

最後はどんなピッチングをしたいですか?
一球一球噛みしめながら投げたい。泣くかもしれないです。
悔いがないと言えば嘘になるがやり切ったのでスッキリしています。
ドラゴンズに来てから色々な仲間が集まっていたが、人見知りタイプなので話しかけてくれたり支えてくれてありがたかったです。先輩方のおかげで今の僕があるので、本当に感謝しています。

地元のドラゴンズで最後を締められる気持ちは?
小、中、高校と三重、大学も愛知なのでみんなが見に来てくれてよかった。

ファンの皆さんにメッセージ
15年という短いようで長いような夢のような15年間でした。
北海道日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズのファンの皆さんの声援が僕の力になりました。
ドラゴンズに来てからはあまり活躍できませんでしたが、少しでも何かの力になったり役に立てればプレーヤーとしてはいいかなと。長い間ありがとうございました。

大野奨太選手

本日はこのような場を設けていただきありがとうございました。
私、大野奨太は今シーズンをもって引退させていただくことを決断させていただきました。
球団関係者の皆さん、また今まで支えてくださった皆さまにこの場をお借りしてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

15年の現役生活が終わる今の気持ちは?
決めてからまだ数日しか経ってないのでまだ実感はありませんが、自分の中で悩み抜いて決断した結果なので、最後、終わる時にはすっきりしているんじゃないかなと思っています

引退すると決めたいきさつは?
キャッチャーとして、僕は常に投手を助けることが仕事だと思ってやってきた、その中で助けられる能力が自分の中で落ちてきた部分と、選手たるもの常に自分が一番だと思ってプレーをしてきたので、この何年か二軍の生活をさせていただいた時、若い選手と共にやらせていただいて、どこかでその選手を応援する自分がいた。そうなってしまっている以上これから現役を続けていくことは厳しいのではないのかなと、自問自答している時期があったので、今回しっかりと決断することができたのではと思います

大学からプロに、1年目から試合に出て何を考えどんなプレーをしていた?
常にピッチャーのことを考えて、ピッチャーのために何をしていくことが最善の策なのかと考えながら戦ってきました。1年目はガムシャラに突き進んだなとしか思ってないので、その中でいろいろ学ばせてもらった。勝つ喜びや、たくさんの失敗もしてきました、その失敗から次にどうやっていかしていけばいいのかということも学ばせていただきましたし、北海道日本ハムファイターズ時代はそういう時代を過ごさせてもらった

ダルビッシュに大谷、世界に羽ばたく投手とプレーしたことについて
ダルビッシュは同級生ですし、中学校時代から有名な存在でもありました、そういう選手と共にバッテリーを組めて、野球ができたことは僕の中でとてつもない財産です。(大谷)翔平も向こうで頑張っている姿を見ると、本当に僕とバッテリーを組んでいたのかな?というぐらいすごい選手になっていますし、本当に 2人と組めて一生の思い出、とてつもない財産なのかなと感じています

日本代表にも選ばれ、タイトルもとり、オールスターでも活躍、いろいろな経歴を振り返って
たくさんの方に恵まれて自分があると思っている、優勝を経験できたことも、たくさんのチームメイトと一緒に野球をすることでできたことだと思っている、決して自分の力と思えていない、そういう方々と出会えて野球ができたことに本当に今は感謝しています

ドラゴンズにきて
苦しい時期もたくさんありましたが、やっぱり小さい頃から憧れて大好きだった。このユニホームを着て野球ができ、僕の中では両親の一番近いところで最後、野球をしたいと思っていたので、その夢を叶えていただけたことに本当に感謝しています。
最後にもっといい姿で両親に恩返しできたらなと思いましたが、こうやってこの場所に座ることが両親への感謝かなと、恩返しかなと思っています

ケガもあり二軍での生活が続く中、苦しさというのは?
苦しかった時期もありますが、また違った観点で野球を見ることができました。若い選手と一緒に泥まみれになって野球やっている自分が面白かった自分もいた、そういう面でとてもいい経験をさせてもらいました。この何年かは今後に必ず生きてくる時間だったと思うので、この時間をとても大切にしながら毎日過ごしました

15年間を振り返って一番印象に残っているものは?
雄大がノーヒットノーランを達成した時、僕は途中から、6回から出させていただいたんですけれど、なかなかノーヒットノーランという状況で渡される事はめったにない状況だったので、あの時はかなり神経を使いましたし、途中あまり覚えてないのですが、本当に何と言うか、プレッシャーの中戦ったなというのが強く印象に残っています

ピッチャーを助けるというポリシーでは最たるものだったのでは?
あそこまで頑張ってきた雄大を何とかもたせたことは僕の中では良かったかなと思います。
もちろん1回から5回まで加藤捕手が守ってきて、耐えてきた部分にバトンタッチしたこと、でもチームにとってもいい影響を与えなきゃいけないと思いましたし、勝つということが一番だと思ったので、その勝ちに結びつくことができよかった

引退を決断するにあたって仲間たち選手たちにどう声をかけた?
会えた選手とまだ会えていない選手がいて、短い期間の選手もいますし、長い期間の選手もいますが、後輩だったら本当お世話になりましたとか、先輩だったらよく頑張ってくれたねとか、これからもいろいろな道があると思うから、その道を頑張ってください、という話はいろいろな選手からさせていただきました

監督、コーチ、首脳陣、これまでお世話になってきた恩師には?
恩師の方々にはプロ野球選手になる前からいろいろなことを教わり、今でもずっとファンでいてくれるので、恩師の方々にはしっかりと引退させていただきますという報告をさせていただいた。自分の中でそういう方々と出会えたことが、このプロ野球生活になっていると思うので、本当にありがとうございましたという感謝の気持ちを伝えさせていただきました

家族にはどのような報告を?
一番最初に相談したのが家族だったので、どちらに転んでも応援するから自分で決めて、その道を進んでくださいという話しをされた。正直、家族はまだユニホームを着ている姿を見たかったと思うのですが、自分の中で決断をして、15年お疲れ様でしたと話しをさせていただきました

両親には
小さい頃から自分の時間を犠牲にして野球をやらせていただいたので、その頃から支えてくれてありがとうございましたと

どのような言葉が返ってきましたか?
お疲れ様と、本当にいい夢を見させてくれたと話をしていただきました

移籍をして近くで野球ができたことは
僕にとっては最大の親孝行なのかなと思っていましたし、両親も近くで野球を見ることができて喜んでくれたので、本当に良かったかなと思います

チームに残っている後輩たちにメッセージは?
みんな必死にやっていますし、何か見出せるものはないかとか、勝ちたい気持ちでやっていますので、そこの気持ちは今後変わらずどんどんやっていってほしいなと思います。もう一つ言うのであれば、やっぱりチーム一丸となってこの1勝を取るという気持ち、全員が束になって戦う姿をもっと前面に出していくことがいい方向につながっていくのではと思うので、より一層そういう姿を見せてほしい

今後は
このようにたくさん経験させていただいたものを、これからの未来の子供たちや、何らかの形で選手にも伝えていけることができるのであれば、そういう道へ進んでいきたいなと思っています。決して自分がやってきたことが全て正解だと思っていないので、これからもたくさんのことを勉強しながら、もっといろいろなことがあるだろうし、もっとうまくなる選択肢もあるだろうし、そういう選択肢を自分の中でも広げていけるようにやっていけたらいいなと思います

ファンの皆さんにメッセージ
北海道日本ハムファイターズ時代からこのドラゴンズに移籍をしてきて本当に変わらず、応援してくださったファンの皆様がたくさんおられたので、僕の中では本当に力になりました。こうやって応援してくださる皆様がいなければ、ここまで自分も頑張っていけなかったと思うので、本当に15年間支えていただいてありがとうございました