大島康徳氏が逝去

2021/7/5

現役時代は中日ドラゴンズ、日本ハムファイターズで活躍し、引退後は日本ハムファイターズの監督、WBC日本代表(2006年)の打撃コーチも務めた大島康徳氏が6月30日に大腸がんのため逝去されました。

大島氏は1968年のドラフト会議で大分・中津工から投手としてドラフト3位でドラゴンズへ入団。
入団後に打者へ転向し、3年目の1971年6月17日のヤクルト戦(中日球場)で7番ライトのスタメンでプロ初出場。
5回裏にレフトへプロ初安打を記録すると、9回裏には右越えに本塁打を放ちプロ初本塁打も記録します。

1972年8月2日のヤクルト戦、1977年8月9日の巨人戦で1イニング2本塁打を2度記録、1976年に7本のシーズン最多代打本塁打や1979年10月8日(ヤクルト)から10月17日(広島)にかけて5試合連続本塁打を放ち、1979年に159安打で最多安打、1983年に36本塁打で本塁打王と様々なタイトルや記録を獲得。

1988年に日本ハムへ移籍し、1990年には当時最年長の39歳10か月で通算2000安打を達成、1994年に44歳で現役を引退しました。

26年間で通算2204安打、382本塁打、1234打点を記録。引退後は野球評論家として活躍、2000~2002年の3シーズンで日本ハムファイターズで監督も務めました。

勝負強い打撃で「一発長打の大島くん」とファンから親しまれた大島康徳氏、心よりご冥福をお祈りいたします。

吉川克也社長のコメント

大島康徳様のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみを申し上げます。
豪快なスイングでホームランを打っていた姿が今も印象に残っています。
プロ野球界の損失は計り知れませんが、長く闘病されていたと伺っておりますので、今はただゆっくりお休みいただきたいと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

与田剛監督のコメント

いろいろな所でよく声をかけていただき、NHKの解説者時代でもご一緒させていただきました。
私が監督になってからも応援していただいていましたし、非常にお世話になった方なので、本当に残念です。