高木守道氏が逝去

2020/1/18

ドラゴンズを、そして球界をも代表する名二塁手として活躍し1974年のリーグ優勝に貢献、監督としても3度(代理監督を含む)チームの指揮を執った高木守道氏が1月17日に急性心不全のため逝去されました。ドラゴンズ一筋、ミスタードラゴンズとして多くのファンに親しまれた高木守道氏へ、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

高木守道氏は1960年に県立岐阜商業高からドラゴンズへ入団、1960年5月7日の大洋戦に代走で初出場、すかさず二盗を決め初盗塁を記録、その後の初打席でレフトへ2ランホームランを放ち初安打が初本塁打となります。

背番号「41」から「1」に変更となった1963年、二塁手のレギューラーに定着するとシーズン50盗塁を決め、初の盗塁王のタイトルを獲得、1974年にはベテランとしてチームを牽引し、ジャイアンツのV10を阻止し20年ぶりとなるリーグ優勝に貢献します。

1978年にプロ野球史上11人目となる2000安打を達成、1963年、1965年、1973年で3度の盗塁王に輝き、通算369盗塁は2016年に荒木雅博(現コーチ)が370盗塁を達成するまでの球団記録となっていました。

二塁手でのベストナインを7回(1963~1967、1974、1977)、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)3回(1974、1977、1979)受賞、バックトス、グラブトスなど華麗な守備でファンを魅了し、走攻守3拍子そろった選手としてドラゴンズ一筋で活躍、21年間プレーし1980年に現役を引退。

引退後はコーチなどを務め1992年監督に就任、1994年には最終戦で勝った方がリーグ優勝という歴史的一戦「10.8」でジャイアンツと対戦しますが敗戦となり、残念ながらリーグ優勝を逃します、翌年も続投となりますが成績不振の責任を取り シーズン途中で監督を辞任。

2012年から再び監督に就任し2年間チームの指揮を執り2013年のシーズン終了をもって退任。2006年に野球殿堂入りし、現役通算記録は2282試合に出場し2274安打236本塁打、369盗塁、通算打率.272。監督通算記録(代理監督含む)は787試合で指揮を執り383勝379敗25分、勝率.503。